Vita版プレイしたのでせっかくだから色々まとめてみた。
CLANNADという作品を鑑賞するにあたって誰もが?マークを浮かべる幻想世界。最近Vita版で8年ぶりくらいに原作版CLANNADをプレイしたので、改めて幻想世界とか作品のテーマについて改めて自分なりの考察をまとめてみました。
CLANNADのアニメを一通り鑑賞した方、または原作を一通りプレイした人向けに書きます。
アニメの設定についても触れますが、基本的に原作の設定に基づいています。
公式からも正式な設定が公表されていない以上、ここに書いていることはあくまでも「個人の妄想」になりますので、ご了承くださいませ。
原作CLANNADの時系列と幻想世界
CLANNADの時系列を組み立てながら幻想世界について考えてみます。
ゲームを起動し、CLANNADのタイトル画面から「NEWGAME」を選ぶとまず以下のシーンからスタートします。
「一面、白い世界」から始まるこのシーンです。(面白い世界ではない)
自分のことを「僕」という登場人物が一面雪に覆われた場所に女の子と一緒にいるらしい、というシーンが描写されています。
文章にして数行たらずのプロローグシーンではありますが、このシーンは後々に大変大きな意味を持つ伏線になっています。
このプロローグのシーンの後、「この町は嫌いだ…」の朋也の独白のシーンに移り、CLANNADの物語は始まっています。
プロローグの意味
この数行足らずのプロローグシーンはいったいどういう意味があるのか?
それはAFTERSTORYを最後まで進めると理解できます。
AFTERSTORYのフィナーレで朋也に抱かれたまま汐は息を引き取ってしまいますが、この後のシーン「幻想世界XII」は以下のように始まります。
「一面、白い世界…」
プロローグとまったく同じです。「幻想世界XII」を読み進めるとプロローグは「幻想世界XII」の冒頭部分のシーンだった、ということが理解できるのです。
つまり、「この町は嫌いだ……」の朋也のモノローグから始まるCLANNAD本編の前に「幻想世界XII」のできごとがあった、ということになります。
幻想世界XIIと少女
「幻想世界XII」では幻想世界の少女(以下少女)が世界の秘密や、自分と「僕」が何者なのか、等大変重要なことを色々話してくれます。
少女の台詞の中の、
「…わたしも…昔は遠い世界にいた…」
「…さようなら…」「…パパっ…」
等の台詞や、いくつかの手がかかりから「僕」=朋也、「少女」=「汐」と推測することができますね。
幻想世界Ⅰ~幻想世界XIIはAFTERSTORYの後のお話
「僕」=朋也、「少女」=「汐」として話を進めます。
幻想世界Ⅰ~XIIでは、「僕」=朋也、「少女」=汐、の二人の交流が描かれています。
ここで、汐は朋也と渚の間の子供です。つまり、幻想世界Ⅰ~XIIは、朋也と渚が出会って恋人同士になり結婚したという、本編のいわゆる渚ルート+AFTERSTORYの延長上にあるエピソードということになります。
渚ルート+ATERSTORYを経て、汐は幻想世界の主になり、朋也は幻想世界で意識を目覚めさせることになります(後述)
ここまでの時系列
渚ルート+AFTERSTORY ⇨ 幻想世界Ⅰ~XII ⇨ 本編開始
渚ルートが発端。渚ルートの途中で改めてオープニングが流れるのもそれを後押ししている。
次に朋也と汐と幻想世界の関係について考え、更に過去の出来事を掘り下げていきます。
朋也が幻想世界で意識を持った理由
汐が幻想世界の主になったのは、「町」だったから。
汐は明確に「町」となっている描写があるので、幻想世界の主である、ということはわかるのですが、朋也がなぜ幻想世界で意識を持ったのか。
「幻想世界XII」で少女はこんなことを言っています。
「…光たちとわたしとは、住む世界が違うから、お互いの存在には気づけないはずだった…」「…でも、きみだけは、わたしに気づいてくれた…」
「…ずっと、どこにも行かずに、わたしのことを見てくれていた…」
この台詞は、現実世界で汐(少女)を朋也(僕)に愛され、また愛していたことが関係していると考えられ、更に少女は幻想世界の主であると同時にそのものでもあります。
幻想世界が汐の意識が反映される世界であることが推測されることを加味して朋也が幻想世界でも意識を持つに至ったと推測できます。
全ての発端:渚は「町」になった。
AFTERSTORYで渚は汐を産みますが、この時、「町」も受け継がれます。
では、渚はいつ「町」になったのか?
それは渚が五歳の時です。
ある日渚は熱を出します。ですが、その日秋生と早苗はどちらも仕事が忙しく看病ができる状態ではありませんでした。二人は渚を寝かせて仕事に出かけます。
しかし、寝ていた渚は熱が出ている状態であるにもかかわらず、寒い冬の中、秋生と早苗の帰りを家の前で待ち続けます。
結果病状が悪化し、その日の夜、生死の境をさまようことになります。
明け方に、秋生は後に病院が立つことになる「秘密の場所」に必死の思いで渚を連れ出します。
この場所で奇跡的に渚は息を吹き返し、「町」になります。
渚はなぜ体調を崩すか
「町」になった渚は町で大きな工事が始まって自然が切り崩されるような状況になったり、また冬になり自然が減ったりすると、体調を崩すようになります。
工事が終わり建物が完成して何事もなかったように受け入れられる、また冬が過ぎて自然が色づき始めると、体調が良くなります。
渚は既に死んでいた?
秋生に秘密の場所に連れられて、渚は意識を取り戻しましたが、この時渚は既に死んでいた、という風にもとれなくもない。
秋生は当時の様子について以下のように言っています。
「駆けつけた医者は、あらゆる処置を施した」
「それでも…熱は下がらなくて…」
「明け方には、もう…」
「……」
「あんな、悲しいことなんて、知らなかった…」
「……」の部分(ちなみにアニメでは「絶望的だった」と言っています)が死んだようなことをほのめかしている、というのは考えすぎでしょうか?
秋生が渚を外に連れ出した上、そのまま一心不乱に駆け出したことの説得力のある理由にもなるような気がします。
いずれにしてもこの出来事がきっかけで、
「町」が古河渚の体を借りて歩いている、とかこういった表現が自分的にはしっくりきます。
ここまでの時系列
渚五歳、「町」になる ⇨ 渚と朋也出会う ⇨ 渚ルート+AFTERSTORY ⇨ 幻想世界Ⅰ~XII ⇨ 本編開始
渚が五歳で「町」になり、その後朋也と結ばれ、汐を産み渚は息を引き取った後、今度は汐が「町」になります。
次に本編開始から後を見ていきます。
本編は「渚と汐を助けるため光を集める」が目的
CLANNADの本編はぶっちゃけた話、見出しの通りになります。
(どこかで見たがドラゴンボールに例えているのはうまいと思った)
冒頭のプロローグには上述の項で解説した意味があって、
最初から実は「渚と汐を助けたかったら光を集めてくる」という目的が根底にあります。
しかし、プレイヤーはそんなこと知る由もありませんよね。
ここがうまくできている所で、「幻想世界XII」で少女曰く、
「…ここ(幻想世界)での記憶は何ひとつ持っていけない…」
つまり、プロローグで幻想世界XIIを経たけど、目的がきれいさっぱり抜け落ちている冒頭の朋也と、ゲームを始めたばかりで何も知らないプレイヤーがリンクしているんですよね。
ループしながら光を集める
登場人物を幸せにすると光が手に入ります。
この光には人を幸せにする力があります。
朋也は渚と汐を救うための光を集めるために幻想世界を経由して、何回もループすることになります。
ループのスタート地点は4/14の学校の坂の下。渚と出会った場所です。
幻想世界XIIで少女が時間と場所を宣言しています。
何十回、もしかすると何百回もループを繰り返し、十分光の玉を集めた後、渚ルートに入ることで、集めた光が奇跡を起こします。
渚は生き続け、汐を産みます。
その後、汐は元気に育っていくも、(おそらく五歳で)神隠しに合う。
見つかったのは病院がある秘密の場所の、木のそば。
公子に連れられて定期検査をしに、病院に来た風子が見つけました。
この木はタイトル画面の場所です。
⇩神隠しについてはこの本参照。
幻想世界
幻想世界はどういう世界か
幻想世界の少女曰く、現実世界と見え方が違う世界。
公式からもそうアナウンスされているようですね。
例えば、劇中の登場人物(動物)を幻想世界と現実世界で、それぞれどう見えるかを比べてみます。
幻想世界(青文字)、現実世界(赤文字)です。
- 僕(ロボット)=朋也
- 少女=汐
- 獣=人工物
- 草を貪る獣=自然を刈り取る人工物
- 僕を助けた獣=朋也が過去に大切にした人工物
タイトル画面の木の下
光を手に入れると、タイトル画面の光がどんどん増えます。
この場所は町(幻想世界)と現実世界が繋がる場所と考えていいでしょう。
ここは、渚が「町」となり、神隠しにあった汐が戻り、その後風子に発見された場所です。
汐は何故死ぬことになったか
もともと汐は五歳までしか生きられない運命だったと考えられます。これは渚が五歳の頃に「町」になったことと関係しています。
そもそも汐は「町」になった渚から生まれたために、存在自体が普通の人間ではない、超越した存在だと思われます。
後に幻想世界の主になったことを考えると予めそうなることを運命付けられていたように感じます。
母体の渚は「町」にならなければ、五年しか生きられない運命だったのだから、汐も同じように人間として五年しか生きられない、ということかと。
汐はどうして神隠しにあったか
まず、光の力によって渚は「町」の力を借りずして五年以上生きられるように運命が変わった。その結果、「町」としての渚ではなく、渚自身の力で子を産みました。
とはいえ、「町」の意識は、渚死後ルート同じく汐に受け渡されていると考えられます。
この汐は「町」の同化とか関係なく、渚自身から汐は生まれているので、五歳で命を落とす、ということはありません。
一方幻想世界では、光の力で渚と汐が生還したことにより、幻想世界にいる少女は幻想世界に留まる理由がなくなりました。
なので、神隠しは現実世界にいる汐に内在している「町の意識」と、幻想世界に存在する「汐の意識」の交換のために起きたものです。
汐が神隠しに会ったのは、五歳のころだと思われますが、これは過去の世界で汐が命を落として、完全に幻想世界の主になったのは五歳だったから、ということかと。
結果、汐は五歳のある日、突然いなくなって町の意識が表在化する、タイトル画面の木の下に引き寄せられ、ここで町の意識と汐の意識の交換を行ったものと思われます。
ちなみに汐を最初に見つけたのは風子ですが、風子は渚や汐と同じく、光に助けられた存在なので、「町」に関係する汐に惹きつけられたからです。
アニメとの原作の幻想世界の違い
まずアニメと原作では始まり方が違います。
原作では朋也の「この町は嫌いだ…」の独白が入る前に、プロローグの「幻想世界XII」の一場面が挿入されます。
対して、アニメではいきなり朋也の独白から始まります。
つまりアニメの最初の朋也は、幻想世界から意識を飛ばされた朋也ではない、ということ。
アニメでは構成の都合上、原作と違って一ヒロインごとにループはしていません。全て一直線上の時系列で光を集めています。
故に、アニメでは幻想世界は、現実世界の時系列と基本的に連動していると考えられます。
現実世界と幻想世界が寄り添うように存在し、朋也の意識が二つの世界に同時に存在するイメージ。
そのことを裏付けるように、アニメ2と原作で少女の言い回しが違います。
原作
「…わたしも…昔は遠い世界にいた…」
「…きみが居た世界と同じ世界に」
アニメ22話
「わたしときみは同じ世界にいたの」
「それもすぐ近くに。ずっと昔に」
「ううん。今でもそうなのかもしれない」
アニメでは、何故か今でもという補足が入っています。二つの世界の時系列が一致しているからこそこういう言い回しをわざわざ挿入したのではないかと。
アニメでは幻想世界を経由しても記憶を引き継げる模様
番外編で朋也が明確に汐が体調を崩した世界の話をしていることから、明確に記憶を引き継いでいます。
また、原作にある「…でも、ここでの記憶は何ひとつ持っていけない…」という台詞がアニメではカットされていたりします。
アニメで渚の死後以降何が起こったのか
原作と同じように、AFTERSTORY16話で渚は汐を産んだ後、息を引き取ります。
その後汐とも悲しい別れをした後、幻想世界に意識が飛びます。
アニメでは、この時点で渚を助けるだけの光を集め終わっています。
少女の力で、朋也は幻想世界から特定の時間に意識を飛ばし、「自分が渚と出会わなければ死なずに済んだ」という思いを断ち切った後、運命の出産の時に飛び光の力で渚は死ぬ運命を回避します。
CLANNADのテーマ
人を幸せにするとみんな幸せになる。
朋也は、短命であった渚と汐を幸せにした。幸せをもらった汐は幻想世界を生み、朋也に身近な人を幸せにする機会を与えた。
朋也は汐の力でループをしまくり、身近な人を幸せにしまくった結果、トゥルーエンドで渚と汐の短命の運命を断ち切って、真に幸せにすることができた。
あれ……?「幸せスパイラル理論」ですかね、これって。
大人になる=身近な人を幸せにし、そのことに喜びを見いだせる人
麻枝氏曰く、AFTERSTORYは「朋也と渚が大人になること目指す物語」らしいです。
作品の中でわかりやすく大人として描かれているのが古河夫妻ですね。秋生ルートで近所の主婦が、
「ついこの間、お風呂が壊れてね、銭湯にいこうと用意してたら、秋生さんがパンを配りにきて…」
「それでわけを話したら、見せてみろって、上がり込んできちゃったの」
「明日には業者に頼むからいいですよって言ったんですけど、二時間くらいかけて服を真っ黒にして、直してくれたの」
こんなエピソードを話してくれるのですが、朋也が目指しているのはこういう事が自然にできる人です。
最初は人付き合いをうざいとしか思っていなかった朋也ですが、AFTERSTORYの汐編では、幼稚園で初対面のママさん達に向き合って笑顔で挨拶をしています。
長い間幼稚園に姿を見せなかったことから、自分が人間として不信感を抱かれていることを朋也は自覚しているのにも関わらずです。
汐との旅行、父の直行との和解を経て、朋也が「大人」になったことを実感した瞬間ですね。
原作のすすめ
久しぶりに原作をやってみたら、朋也の心理描写がアニメとは比べ物にならないくらい濃くて驚いた。
特に渚と恋人になってからというものの朋也はことある事に、変わっていくことや、未来への不安をこれでもかという程に吐露しまくっています。
学園編の前半では、自分一人では何もできない渚を朋也がフォローする、という関係でしたが、AFTERSTORYに入ってからその関係が完全に逆転しています。
渚を支えていると思っていたら、支えるどころか支えられてたよ!みたいな。
どんどん強くなる渚に朋也がついていけなくなっている。
AFTERSTORYの朋也の絵に描いたような山あり谷ありぶりじゃ、ここまで弱気になるのも無理はないと思うけど。
初回プレイ時の思い出
「ちいさな手のひら」にかつてない程に感動した
ちいさな手のひら、グランドフィナーレで流れる曲ですが、初めてこのエンディングに行き着いた時、言葉では言い表せないぐらい物凄く感動したことを覚えています。
(寒さを除いて)それまでの人生で間違いなく一番鳥肌が立ったひとときだった。
もちろん曲が凄く良かった、また渚が生き続けるENDを見ることができた、というのももちろん感動できた重要な要素ではあるのですが、一番は長い時間を掛けて自力でこのエンディングに辿り着いた、という事実がこれほどの感動に結びついたのかな、という気がしてます。
CLANNADはトゥルーエンドを迎えるためのルートが膨大です。正確にはルートを攻略するというか光を集めるのですが、AFTERも合わせて、
- 杏
- ことみ
- 智代
- 風子
- 有紀寧
- 芽衣
- 美佐枝
- 勝平
- 幸村
- 早苗
- 秋生
- 芳野
- 伊吹先生
- 親父
とか、これだけの量の光入手フラグを立てる必要があります。
特定のルートに入るための条件が結構シビアだったりするので、攻略サイト等を見ないで自力でやるのは結構大変です。
あの時の感動は、試行錯誤してトゥルーエンドに辿り着いた分の苦労も入っているはず。
そんな訳で今でも相当思い入れはある。
vita版の感想
PS2以来だったCLANNAD原作。vita版についてのちょっとした感想。
色文字機能が無くなってる?
渚「あんパンっ」
杏「フケる」
春原「それと便座カバー」
⇧PS2版って確かこんな感じでキャラクターごとにフォントの色分けがされるみたいな機能があったような気がするんですが、何故か無くなっていた。
この機能そんなに需要なかったんですかね?PS2版をプレイした時には、普通にこの機能を適応してたんだけども。
最初から笑わせないでください。
ゲームを起動すると最初に、
「動画サイトに無断にゲーム動画をあげると違法です」
とか、そんなような注意書きがされることが多い昨今のゲームですが、
この注意書きでまさか爆笑するとは思わなかった。
「この物語はフィクションです。
登場する人物、地名、団体名などは実在のものとは関係ありません」
ここまでは普通。
「また、自動車、原動機付自動車、自転車などの運転は交通ルールを守り安全運転を心がけてください」
何故か交通ルールの注意書きが書いてある!?
⇧間違いなくこいつのせい。
確かに、ゲーム上では猛スピードを出して普通に人を轢いたりしてますし、考えればものすごく問題のある描写ですからね……。
むしろ昨今の規制の厳しさを考えればこの注意喚起だけで済んでよかったな、というか。
春原がいるからこそのCLANNAD
大いに笑わせて頂いた。
やっぱり春原がいてこそ、CLANNADやね。
CLANNADの「笑い」方面に大きく貢献してくれる存在(もう一人は秋生)
アニメの朋也との漫才も面白いんだが、原作を改めてプレイしてみると他にも面白いやりとりがそこらじゅうに転がりまくってる。
そのかわり下級生からかつあげしたりクズな所も目立つが。
朋也の声は残念ながら無いので、アニメ視聴済みの人は脳内変換すると幸せになれます。
便座カバーは原作の方が好きですね。原作のように普通の会話をするようなテンションで喋ってくれる方が、「便座カバー」という単語のおかしさが際立つというか。
当時腹がよじれる程笑ったのを思い出した。
アニメだと、あのような明るいテンションでないと映像的に映えないから、あのような感じになったのだろうか。